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青年・凱歌の年 広布史と関連するおすすめ書籍をご紹介 ~10月編~

10月の広布史と関連するおすすめ書籍をご紹介します!

① 10・1「学術部の日」

淵源は、1972年(昭和47年)10月1日発行の「大白蓮華」誌上で開始された、池田大作先生と学究の友とのてい談「生命論」です。(後に『生命を語る』として出版)

② 10・2「世界平和の日」

1960年(昭和35年)10月2日、この日、第三代会長池田先生は初の海外指導の旅へと出発します。世界への広宣流布は日蓮大聖人の御遺命であるとともに、第二代会長戸田先生から託された使命でもありました。
戸田先生は逝去の直前、池田先生に対して次のように語っています。
「君の本当の舞台は世界だよ」「世界へ征くんだ」と——。

戸田先生の写真を池田先生の胸のポケットにしまい、24日間でアメリカ、カナダ、ブラジルの3カ国9都市をでまわりました。
同志も少ない土地で健気に信心を続けてきた日本からの移住者や日系人など、少数ながらも、現地の学会員を池田先生は全力で励まし、信心の楔(くさび)を打ち込んでいきました。
世界の広宣流布という壮大な目標から見ると、きわめて地道な戦いではありましたが、“一人の蘇生なくして世界広布の実現はない”と、池田先生は焦らず着実に歩みを進めたのでした。

旅の途中、池田先生が体調を崩し、同行幹部が海外激励行の中止を進言することもありました。しかし、池田先生は「もし、倒れるなら、倒れてもよいではないか!」と、同志の待つ地への訪問を続けたのでした。
池田先生は「新しき開拓に、困難と労苦が伴うのは当然である/それを突き抜ける炎のような覇気(はき)と闘争によってのみ、広布の開拓はなされるのだ」と、記しています。
この言葉どおり、池田先生の命を削った激闘によって、世界広布への大道が開かれ、仏教史上かつてない現在のSGIの発展へとつながっていったのです。

③ 10・7「離島部の日」

1978年(昭和53年)10月7日、全国から約120の島の代表が学会本部に集って行われた第1回「離島本部総会」が行われました。 総会の席上、池田先生は「一つの島というのは、見方によれば、国と同じ」であり、「自分が、この島の柱となり、眼目となり、大船となるのだとの決意に立つことが大切」と、期待されました。
この総会を記念して、「離島部の日」が制定。後に「勝利島部の日」となりました。

④ 10・18「民音創立記念日」

クラシックやオペラの鑑賞券は高価で、庶民には敷居が高かった当時、創立に際し、創立者の池田大作先生は「庶民が“下駄履き”で行けるコンサートをつくろうよ」と真情を語りました。 1963年(昭和38年)10月18日に東京・文京公会堂(当時)で民音初の創立記念の演奏会が行われ、これが記念日の由来となっています。

⑤ 10・24「社会部の日」

1973年(昭和48年)10月24日、職場・職域を同じくする同志が、互いの信仰を磨きながら、職場の第一人者として成長し合うことを目的に結成されました。

今月は、10月の広布史を学びました。
また来月もお楽しみに。

出典・引用・参考:聖教新聞/SOKAnet

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