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青年・凱歌の年 広布史と関連するおすすめ書籍をご紹介 ~6月編~

6月の広布史と関連するおすすめ書籍をご紹介します!

① 6・4「世界池田華陽会の日」

2009年(平成21年)6月4日。
池田大作先生ご夫妻が東京・信濃町の現・創価池田華陽会館を初訪問しました。
この日「池田華陽会 永遠の五指針」が発表され、華陽会の友に『私は、わが人生の総仕上げのこの時、「華陽の誓い」を抱いて躍り出てこられた女子部の皆さんに、不思議な縁を感じてならない。宝の中の宝である皆さんに、広宣流布の未来の一切を託していきたい。私と妻は、そうした祈りを込めて、皆さんを見守っている。』との言葉を贈りました。
この日を慶祝して、「世界池田華陽会の日」が制定されました。

② 6・6「初代会長牧口先生 誕生日」

1871年(明治4年)6月6日は初代会長牧口常三郎先生の誕生日です。
牧口先生は現在の新潟県柏崎市に生まれ、北海道尋常師範学校(現在の北海道教育大学)を卒業した後、小学校の教員となり、教育者の道に進みます。
そして、1901年(明治34年)に上京し、その2年後に『人生地理学』を発刊します。
1928年(昭和3年)、日蓮大聖人の仏法と出会い、求め続けていた“人間主義の哲学”に触れた牧口先生は、日蓮仏法の信仰者の道を歩むことを決意。
1930年(昭和5年)11月18日に『創価教育学体系』第1巻を発刊し、この日が、創価学会(当時、創価教育学会)の創立記念日の淵源となったのです。

③ 6・7「高等部結成記念日」

1964年(昭和39年)6月7日、本格的な後継者育成の第一歩として「高等部」が結成されました。
池田大作先生は、日本と世界の未来を展望した上で、“青少年の育成に範を示していくことが学会の使命であり、社会的な役割の一つである”という考えから未来部の結成を提案。
「みんなは目先のことしか考えない。しかし、30年後、40年後の学会をどうするのか。その時、学会の中核になっているのが、今の高校生です」(『新・人間革命』第9巻「鳳雛」の章)――これが池田先生の思いでした。
さらに翌65年(同40年)「中等部」「少年部」(後の少年少女部)も結成。宝の子どもたちは、池田先生の慈愛の励ましや「創作童話」などを通して、強くたくましい心を育んでいったのです。

④ 6・10「婦人部の日」

1951年(昭和26年)6月10日。
第2代会長・戸田城聖先生のもとに代表52人が集い「婦人部」が結成。各部の中で一番初めに結成されたのが「婦人部」です。
“全ての女性が幸福に”との恩師の願いを継いだ池田先生の励ましによって、今や幸の連帯は世界中に広がっています。

⑤ 6・30「学生部結成記念日」・「『広布に走れ』誕生」

1957年(昭和32年)年6月30日は、学生部結成記念日です。
東京・港区の麻布公会堂に、第二代会長戸田先生のもと約500人の男女学生が集いました。
広宣流布の未来を展望し遠大な構想を描いていた戸田先生の悲願でした。
その構想を分かち合い、学生部への指導・激励を託された池田青年室長は「いよいよ、社会で先頭に立つ学会人を育て始めよう!——そのための学生部の誕生であった。ゆえに(戸田)先生は、『うれしいね』と おっしゃられたのである」と、振り返っています。
結成大会の当日、一労働組合からの不当な弾圧と戦うため北海道の夕張にいた池田青年室長に、参院補欠選挙での選挙違反という事実無根の疑いがかけられ、大阪府警への出頭要請がありました。学会の発展を阻もうとする権力の魔性との闘争のただ中で、学生部は誕生したのです。

1962年(昭和37年)8月、池田先生は学生部の代表に対する御書講義を開始。
1968年(昭和43年)9月には、学生部総会の場で「日中国交正常化提言」を発表。
1978年(昭和53年)6月30日、東京・荒川文化会館で行われた学生部結成21周年記念幹部会で、第一次宗門事件の渦中、池田先生自ら作詞・作曲を手がけた学生部歌「広布に走れ」を発表し、“正義の魂”を学生部に託したのです。
本年、「広布に走れ」発表より45周年の佳節を迎えます。

今月は、6月の広布史を学びました。
さぁ、梅雨のジメジメとした気候を吹き飛ばす明るさで、心軽やかに6月も駆け抜けて参りましょう!
また来月もお楽しみに。

出典・引用・参考:聖教新聞/SOKAnet

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